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江ノ島行

 昨日、江ノ島に行った。
 中学の修学旅行で訪問したときが最初で、以来4~5回目だろう。

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 午前9時20分、小田急新百合ヶ丘駅から特急ロマンス・カーに乗車。購入した特急券を見るとB席。「あれっ?、混んでるのかなぁ?」と思いつつも乗車するとA席には同年代くらいのおやじが座っている。私は、カメラバッグを提げ、手には三脚。相手からは一見して写真を撮りにいくおやじだと分かる。と、相方のおやじ氏、バッグからおもむろに取説を取り出した。これまた一見してカメラの取説と分かる。おやじ二人が隣同士で同じ趣味。それがそれぞれ単独行でロマンス・カー。何がロマンス・カーだよ!朝からホント、わびしい~~。

 で、そのおやじ氏、一つ手前の藤沢駅で下車。妙にホッとした気分になる一方、「あっ、鎌倉に行ったな。写真教室かもな」などと推測が続く。逆に気になりだしたから不思議なものだ。いろいろと考えるんだったら座ってる間に声を掛けてりゃいいものを…。そのおやじの姿がちょうど3か月前の私めと同じ。

 そう言えば、人間ってほぼ同じコースをたどる。昔、韓国スナックに通っていたころ、客の歌で「こいつは初心者」とすぐ分かった。まず、「釜山港に帰れ」を日本語で、少し足を運んだ客は下手な韓国語で同じ歌へと進む。10人が10人ほぼ同じ。後学のためにもう少し。世の男性諸君!韓国語は女性から習っちゃダメですよ。女性同士が話している言葉を真似てもダメ。韓国語には男言葉と女言葉が厳然とあってね。だから、知ってる人が聞いたらすぐ分かる。あらぬ疑いを招くよ。

 今日は江ノ島行。韓国の話しじゃない。

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 で、片瀬江ノ島駅から徒歩約5分。岩屋方面に渡してくれる遊覧船に乗船した。これは初めての体験だ。よ~く考えてみると、島の裏側には行ったことがない。遊覧船と言っても漁船のような船。約10分で岩屋に着いた。

 岩屋は、第一岩屋と第二岩屋の二つの洞窟に分かれていた。洞は波の浸食でできたものらしく、中には数々の石仏なども安置されている。島の裏側は絶好の釣り場。この日も多くの釣り人が来ていたが、潮の加減か、見ている限り釣果はあまり芳しいとは言えないようだ。

 あとは延々と続く石段を登り島のてっぺんへ。途中、恋人の丘や稚児ヶ淵などがあったが、「おやじ一人で恋人の丘もないもんだ」と見向きもしなかった。昼に食べた「江ノ島丼」。親子丼の鶏肉の代わりにさざえが入ってる代物だが、なかなかのものだった。ちなみに稚児ヶ淵からの夕景は、対岸に富士が望めてよさそうだったが、そこまで時間的余裕もなく断念した。
 
 

江島神社

by h-fuku101 | 2009-06-30 08:09 | Comments(0)

習い事

 世の中、私の知らないところで、いろいろな資格を取る人が多いようである。
 それは仕事上、どうしても取得しなければいけない場合もあろうし、趣味になっている人もいることだろう。私の友人の一人もバッグの中から次々と資格証(?)を取り出し、「これは樹木鑑定士。これは〇〇」などと、10枚以上もの紙切れ(失礼)を一つひとつ丁寧に説明してくれたことがある。こうなるともうマニアの世界だ。

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 これは個人の価値観、人生観の世界。私がとやかく言うことではない。

 私が持っているのは車の運転免許書ただ一つ。ん?将棋の初段免状もあった。ただし、この免状はいわばプロ棋士からご褒美としていただいたもの。授与にあたりプロ棋士から「人前では指さないように」のひと言が添えられた。

 昔、当時60歳の母が、「この歳でいまさら生花を習うのは恥ずかしいから、お前、代わりに習ってくれ」と言った。「~♪♪女のなかで男が一人~♪♪」をもろともせず、行きましたねぇ。盛り花からお流儀へと進んだ1年a0120949_825394.jpg後、「そろそろ初伝を上げましょうかねぇ」と先生。「ありがとうございます」と言った後の先生の「では、来週お金を持って来てください」にカチンと来た。生徒が10人も居並ぶ席で「先生、免状ってお金がいるんですか?では要りません」。全員が唖然としていた。当時の私は、先生が免状料を生活の糧の一つにしていることなど知るよしもない。ただ、免状というのはその個人の実力に対して付与されるものだ。金を取るなんてとんでもない、と思っていた。この考えは、多少幅は広くなったが、基本的には今も変わらない。それ以後、車の免許を除き、一切の免状、資格は持っていない。

 高校を卒業して勤めた会社にもいろいろな試験制度があった。まじめに働き、勉強をして試験を受け、評価されて昇進する。これはいいことだ。ただ、私には関心がなかった。毎日毎日お客さんと顔を合わせ、そして、喜んで帰っていただくことだけに腐心した。時には客と殴り合い寸前にまでなるトラブルもあったが…。

 たまたまお客さんのなかに銀行や企業の社員研修の講師をされている人がいたらしい。ある日、別のお客さんから「今日のラジオである先生が、『接遇の勉強をするなら〇〇郵便局に行きなさい』って言ってましたよ」と教えられ、後日、支社から賞状をいただいた。習い事もせず、勉強も受験もせず、資格の一つもない人間だが、こんなにうれしい免状はない。

 野村監督が言った「生涯一捕手」の言葉が忘れられない。

by h-fuku101 | 2009-06-29 08:04 | Comments(0)

教室

 4月から始めた写真教室が一昨日の25日で終わった。

 講師のT先生、「表情や物言いは穏やかだが、言ってることはかなりキツイ」は以前、紹介した。
 初回教室の第1声が印象深い。「私は、写真の撮り方(技術的なことや構図など)は教えません。なぜなら、私がみなさんの旅行などに同行することはできないから。だから、自分で工夫してください」「……?では、何を教えてくれるの?」。デジカメ入門者の私にとって、この突き放すようなひと言は実に不安なものだった。

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 3回目の教室だったか。「この先生、口はキツイが人はいい。いわゆるお人好しタイプだ」と見抜きましたねぇ。それからは分からないことがあると質問攻めに転じた次第。先生、律儀にも一つひとつ丁寧に教えてくれた。「私は撮り方は教えません」のポリシーを忘れ、一生懸命だ。ありがとう!

 この3か月間に教えていただいたことを、頭の整理も兼ねて記して置きたい。もし、写真に興味をお持ちの方がいれば、参考になるかも(私への気遣いは不要ですよ。いいですね。念のため)。

 テーマは「花」。でも、例えば、被写体が風景であっても、人物であってもある程度共通していると思う。

 ①植物図鑑じゃありません。②花を欲張らないで。③茎など要らない部分は大胆にカット。④光と影、水滴なども意識――は以前紹介した。なお、植物図鑑じゃありませんは、写真の中央に花をもってくること。日の丸とも言うよ。

 他に、①花の写真の8割は逆光。②同系色が多い場合は、主題を引き立てるためにバックをボカす。③白や黄色など明るいボケは余り大きく取り入れない。④3分割を活用(モニター画面を上下、左右とも目で3つに区切り、真ん中に被写体をもっていかない。水平線や木々の頭も左右の線を意識)。⑤桜は、曇りの日には「曇り補正」を使うと赤みが増す。⑥絞り数値を大きく(絞りの口は小さくなる)すると全体は写るが主体はベタッとなる。⑦曇っている日は露出オーバー気味でもOK――等々。ただし、コンパクトカメラではボカシができないので念のため。

 で、教室の最終回は現地撮影会。教室は自宅から電車で約30分の川崎駅ビルだったが、今回の撮影会は何と私の散歩道の生田緑地内にある民家園。約束時間の10分前に自転車で出掛け、楽々到着!

 いざ撮影となってよ~く考えてみると、今まで屋内写真は撮ったことがない。デジカメはもちろんカメラまかせでも撮れるが、それはプライドが許さない。上記の留意点で当てはまるのは「3分割」と「欲張らないで」くらいか? 案の定、自宅に戻って作品を見てもろくなものがないわい。実に奥深いものである。

 で、昨日は銀座にあるキャノンの「EOS学園」を下見した。7月からまた再スタートだ。

 

by h-fuku101 | 2009-06-27 10:27 | Comments(0)

三訓

a0120949_8394831.jpg 長年お世話になった会社の研修で「三訓五戒」というのを教えてもらった。

 「三訓」は、①時間を守れ、②言い訳はするな、③陰口を慎め――。「五戒」は忘れた。
 もともと「人の言動に左右されやすい体質」を持つ私。「これはいい!」と、直ちに実践に移すことにした。

 さて、上の三つの言葉。読むだけならば至極当然のことだし、誰しもが「いいことだ」と思うだろう。だが、実践を始めてしばらくして「これは生半可な気持ちでは継続できないぞ」と思い知らされるのである。

 まず、時間を守れ。これは大したことではない。若いころはよく遅刻もしたし、約束をすっぽかしたりしたこともあるが、かれこれ30年ほどは約束の時間に遅れたことはない(と思う)。

 次の「言い訳はするな」。
 さて、「事情説明」と「言い訳」の違いは微妙だ。当初は、その違いすら分からず、すべてが「言い訳」だと思っていたから、例えば、やるべき仕事が遅くなったり、結果としてできなかったときに一切、黙して語らずの態度を取った。周りの人たちから見れば何を考えているのか分からない、まったく可愛げのない人間に映るのである。

a0120949_8423456.jpg 三つ目の「陰口を慎め」。
 人間という生き物は実に陰口が好きだ。なかには「これこそ生きがい!」なんてツワモノ(特におばさん)もいる。居酒屋でグラスや杯を傾けているおじさんたち、スィーツを楽しんでいるおばさんたちに限らず、老若男女のほぼすべてが、その会合(?)のどこかの場面でこれを肴に盛り上がる。私はこれを「欠席裁判」と呼んでいるが、その会合に居合わせていながらこの「欠席裁判」に加わらないと、次回からはお呼びが掛からなくなること必然だ。

 つまり、一つ目の「訓」はいいとして、二つ目、三つ目の「訓」を実践することは「友だちを失う」覚悟でやらなければならないということである。

 「陰口」に対を成すのは「直言」。
 優しさと弱さは違う。強さと乱暴も違う。「真の優しさとは、自らが勇気を持って決断し、相手のことを心から思ってその人が嫌がることもハッキリと言うことだ。場合によっては縁を切ることも覚悟」と思って直言したこともたびたび。そのときの評価結果は二分したが、今も友だち付き合いは続いている。

 

 

by h-fuku101 | 2009-06-26 08:43 | Comments(0)

アナログとデジタル

 先日、仙台行きの新幹線を待つため、喫煙室に座っていた。そこには大時計がない。
 夏場は腕時計をしないことにしているので、携帯電話の時刻表示で出発時刻までの時間を確認した。

 しばらくして、ふと気づき、少なからぬ衝撃を受けた。

 当然、携帯電話の時刻を見たときに出発時刻までの時間を頭のなかで引き算していたのだが、その確認作業(?)を無意識でアナログ時計の針に置き換えて行っている自分を見たからだ。
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 アナログとデジタル。言葉はもう十分知っている。意味は、ん…? 時計では針があるのがアナログで、数字表記がデジタル。デジタルカメラとは言うがアナログカメラとはあまり言わない??? 今では、人にまで「アナログ人間」と言うことがあるが、それは「前時代的体質」とでも言う意味か。この場合も「デジタル人間」と言う呼称は聞かない。

 辞書を引いてみた。

 アナログは、「物質・システムなどの状態を連続的に変化する物理量によって表現すること」。
 デジタルは、「物質・システムなどの状態を離散的な数字・文字などの信号によって表現すること」。

 何回も読むと、何となく理解できるが、物理学の素養がないため、確かな意味は分からない。で、自らに下した結論は、「古い」と「新しい」。

 a0120949_7472375.jpg少し前、おじいさんから、「お兄ちゃん(私のこと)、この富士山の写真いいなぁ。焼き回しするからネガを貸してくれるか?」「フィルムじゃないからネガはないんです」「……? ネガがないってどういうことや」「チップがあってね、そこに画像が入ってるんです」「……?」。この翁、私の辞書の理解と同様、頭では何となく分かっても、言われている意味が身体では分からないらしい。

 仕事や技術が身に付く。いくら頭で分かっても、人間は身に付かないとダメですねぇ。

 世の中、今やマニュアルが横行している。書かれたとおり行動し、自分で工夫しようとする発想すらない。行き付けの喫茶店のアルバイト氏は、フロアーの掃除の仕方まで先輩に質問して、せっせとメモ。そして、そのメモから一歩も外に出ることはない。

生身の人間、信号で動いてなるものか! 血や肉などの物理量で考え、行動し、そして朽ち果てていく。アナログ人間、ばんざ~い! 「好きな誰かを想い続ける、時代おくれの男になりたい~♪♪」 なぜか川島英五の「時代おくれ」を今日も口ずさんでいる。

 

 
 

by h-fuku101 | 2009-06-25 07:36 | Comments(0)

成るほどに

a0120949_7295941.jpg 昔、私が中心となって運営していた囲碁・将棋大会があった。全国各地から年1回、腕自慢が参加し、2泊3日の日程で団体戦、個人戦を行った。プロ棋士との指導対局や解説などもあり、盛りだくさんな企画だった。

 以来約30年。今もその囲碁・将棋大会は続けられている。

 囲碁歴代の優勝者・名人の名を列記してみよう。初代は北海道の川尾さん。次に近畿の村上さん。大音さん(近畿)、徳富さん(中国)、砂川さん(北海道)へと続く。川尾さんは、対局中は厳しい表情を崩さないが、盤外ではいつもニコニコとしていて人柄は実に穏やか。村上さんは本当に謙虚な人である。大音さんは、いるのかいないのか分からないほどに目立たない。徳富さんは、私たちと同じ仕事を辞めて、中国の子供たちへの囲碁普及に出掛けた。砂川さんは現役。

 これらの人に共通しているのは、みんな地方に帰れば県の代表クラスかそれに近い人ばかり。実際、何人かは全国大手紙が主催するアマチュア全国大会にも、厳しい地方予選を勝ち抜き、参加している。だが、誰一人として自分の強さを鼻にかけていない。

 囲碁・将棋は対局後、検討をする。「ここに打って置けばどうだった?」「そのときはここに打つ」と言った具合。上記の人たちは、検討の場にプロがいれば決してでしゃばらない。プロから「この手の意味は?」などと質問されたときにのみ口をきく。プロをプロとして認めているからであり、これはその人にそれだけの実力があるから出来ることである。

 成るほどに頭を垂れる稲穂かな。

 囲碁も将棋も、ゴルフも同じだが、実力を競うと同時にマナーが重んじられるゲームである。実力という自信は持ちつつも、決して思い上がることなく、周囲の人たちへの敬意や気遣いも忘れない、そんな気持ちを持っている人にこそ楽しむ資格があるというのは言いすぎだろうか!?

 

 

 

by h-fuku101 | 2009-06-24 07:36 | Comments(0)

ホタルの国

 昨夜、ホタルの国から招待状が届いたので行ってみた。ホタルの国と言っても、生田緑地に限られた時間だけ出現する仮想の国。

 午後7時半、まだ明るさが残るうちに到着。自宅から自転車でわずか10分程度のところにホタルが見られる自然が残っていることを誇りに思う。行政とボランティアの方々には目に見えないご苦労があることだろう。
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生田の森には夏至の前後1週間程度、ホタルの国が出現する


 午後8時を過ぎて、空にはまだいくらか明るさが残っているが、木々の間から光がちらつくようになった。一つ目の光を発見したとき、木道に集まった人々から歓声ともため息とも言えない声が沸きあがった。その声に、光を見つけることに集中していた目を木道にもどすと、いつの間にかたくさんの人たちが集まっている。う~ん、ホタルの数より多いかもな。

 ホタルの光は時間の経過とともに輝きを増し、数も多くなる。夜空に点滅を繰り返しながら飛び交う姿は実に幻想的な光の舞だ。集まった人たちは、「写真は撮らないでください」「懐中電灯は照らさないでください」等の事前の注意をよく守り、乱舞に見入っている。ホタルが見られること、みんなが気持ちよく光の舞を鑑賞していることで、こちらの気持ちもうれしさで満たされている。

 ホタルの種類がいくつあるのか、これまでは精々、ゲンジボタルとヘイケボタルしか知らなかったが、何とこのホタルの国には、前記2種類のほか、①スジグロボタル、②ムネクリイロボタル、③カタモンミナミボタル、④クロマドボタル、⑤オバボタルの7種類もの生息記録があるらしい。もっとも、今はヘイケボタルは見られなくなったとか。

 点滅の仕方にも東西で違いがあるらしい。東日本型は4秒、西日本型は2秒。ホタルは、お互いの光を頼りに子孫繁栄の相手を探しているから、もしかしたら東日本型のホタルは相手探しに切羽詰まって一生懸命になり、西日本型は淡白なのかも知れないな?(ば~か!) オスは飛びながら発光し、メスは草や葉の上で発光するというのも、今回初めて知った。

 なぜか満たされた気分で、そのあとは自転車のライトを追って帰宅の道をたどった。

 ※明日22日~23日は那須塩原へ行くため、マイブログはお休みにします。

by h-fuku101 | 2009-06-21 09:16 | Comments(0)

らしさ

a0120949_10144523.jpg アイデンティティ(Identity)。この言葉を初めて耳にしたのは25~6歳のとき。当時、付き合っていたアメリカ人:ウォーカー氏と戎橋筋を歩いていたときに彼の口から出た。辞書は持ち合わせていないし、彼も日本語で説明できるほど堪能ではないので、そのときははっきりしないままに別れた。

 辞書では、①同一性、一致している。
        ②同一人、本人。
        ③独自性、主体性、本性ーーなど。

 私はもっぱら、③の意味を「らしさ」と訳している。

 一人の人間に「らしさ」を加えると、「その人らしさ」、つまり個性ということになる。これは大切にしたい。

 いろいろなお付き合いを重ねてきたが、男と女の考え方の根源は、言葉ではどうにも説明できないが、どうも違うようである。体力的にははっきりと男女間に違いがあり、性的にはどんなに頑張っても男に子供を産む能力はない。

 近年、「男らしさ」「女らしさ」が実に曖昧になっている。それぞれが生まれ持った違いが厳然とあるはずなのに、日常の言葉や行動、精神構造までがその区別を曖昧なものにしている。

 私自身、男女平等社会の実現や女性の社会進出の促進に努めてきた一人なので、女性が社会の中でハツラツと活躍する姿は見ていて気持ちがいいし、応援もしたい。「女性は家にいて家事、炊事をしろ」などと古めかしい役割分担論を持ち出す気などさらさらない。

 さて、今の「乱れ(?)」は男女の「らしさ」の乱れなのか、それとも人間が本来持ち、発揮しなければならない人への思いやりや優しさ、自分自身への恥じらいや慎みといった精神の欠如なのか…。分からない。そういえば、司馬遼太郎氏だか池波正太郎氏だかの著書に「人間は情智あいまって人となる。情の裏打ちのない智は…」(?=忘れた。30巻以上もページを繰ったが出てこない)があったなぁ。

 おやじの独り言では、愚痴だけは避けようと思っている。しかし、車内での通話、化粧、音漏れはもちろん、スカートで足をビャーと開いた自転車乗り、ジーパンで屈んだときのパンチラならぬベロー出し…。枚挙にいとまがない。昔は、女性は脇の下を見せないために吊革すら持たなかった。臍だしルックなんてとんでもない。エスカレータで尻を隠すなら、そんな短いものはいて来るな!
男と女の美しさはもっと別のところにある。

 

 

 

 

 

 

by h-fuku101 | 2009-06-20 10:15 | Comments(0)

私の中の3巨匠

 「本は読まない!」というこだわりは30歳過ぎまで続いた。

a0120949_8575586.jpg それまでは体育会系一辺倒のアウトドア生活派。ウェスト69、胸囲104、太もも82、握力74、背筋150、100㍍走12.6…。そう言えば、銭湯に行けば(家風呂なんてなかった。「あっ、銭湯出入り禁止事件も紹介しないといけないかなぁ?」)、近所のおじさんから「兄ちゃんみたいな身体の男に娘をやりたい」と言われたり、浴槽に腰を掛けてたら「お兄ちゃん、いい身体してるね」と身体をくっつけてきた、少し趣味が違うお兄ちゃんもいたなぁ。せっかく温まった身体なのに鳥肌が立ったわい。もちろん今では見る陰の一片すらないが…。

 (主題からずれてるよ~。今日は本のお話…。)

 本を読むようになったのは33歳から。その歳に上京し、仕事の関係から止むにやまれずという切羽詰まった状況に追い込まれたのだ。いきなりの経済書から時事評論、時代考察本等々。「勉強しない体質」の改善を強要されたようなものだ。経済書等から本を読む習慣を身につけたっていうのも珍しいかも知れない。

 で、とにかく活字に慣れ始めたとき、「少し頭を休めよう」と手にしたのが藤沢周平氏の時代小説だった。だが、ただストーリーを追っているだけ。ある日、仕事でかかわった作家から「どんな本を読んでます?」って聞かれ、「今は藤沢さんです」「シブいですねぇ。あの人の作品は、特に、光と影の表現が素晴らしいんですよね」。この言葉に斧で頭を殴られたようなショックを受けた。藤沢周平氏は、もちろん作品自身のすばらしさはあるが、私に読書習慣を定着させ、小説の読み方を教えてくれた、私の中の巨匠の一人である。

 約7年前。山形県鶴岡市出身の友人I君のご母堂が他界され、その葬儀に参列した。葬儀前日、市内の湯田川温泉に一泊したが、たまたま入った旅館の女将が藤沢氏の教え子だった。ロビーには写真や小説が陳列され、より親しみが深くなった次第である。

 もう一人の巨匠は司馬遼太郎氏。氏の本姓は私と同じで、名前は定一。東大阪市に記念館があるが、その記念館に行く途中に我がF校がある。氏のジャンルは歴史小説。もちろんそれらの愛読者の一人であるが、氏の取材旅行をまとめた「街道をいく」は手放したくないシリーズである。

 三人目の巨匠は池波正太郎氏。小説はもちろん、エッセィ集にも目を通している。浅草にある記念館にもたびたび足を運んだものだ。氏は、決してと言っていいほど作品中で、直接的な表現で人生訓を述べたりはしていないが、読後、全体を通して人の生き方、考え方、人と人との接し方、人間の強さや弱さなどを教えてくれる。

どうしてもっと早く本を読まなかったんだろう?!

 

ご近所紹介 Vol.2

by h-fuku101 | 2009-06-18 09:42 | Comments(0)

墓参そして

a0120949_619218.jpg 12日から3日間、母親の墓参のため1年ぶりに帰阪した。正確には、5月初めに大阪に出張しているから、1年ぶりの帰阪というのは正しくない。

 母親は、生駒の山を間近に望み、花園ラグビー場が目の前にある墓地に長兄、次兄とともに眠っている。

 平成15年4月、北陸出張中に「長姉死去」の報で急遽、金沢から帰阪したが、母親はその2か月後の6月、長姉の死を知らないままに幽明境を異にした。長姉逝去のことは残された兄姉の間で「ショックを受けるといけないから、母親には知らせないでおこう」と申し合わせていたので、葬儀後、私一人で入院している母親を見舞った際、「何やお前、仕事は? まじめにやらな あかんで」と言われたときには、「大丈夫や」と答えつつも、話しの接ぎ穂に困った。2か月後に天国に旅立った訳だが、向こうで長姉と「お前、何でここにおるんや」と話し合いつつも、「あっ、あいつ、あの日、黙っとったんやな。薄情な奴や」と恨んでいるかも知れない。

 母親は明治40年9月生まれ。日露戦争後2年を経て福井県に誕生しているが、世は戦勝気分のまま軍隊が政治的勢力を伸ばし、第一次世界大戦、2.26事件、支那事変、第二次世界大戦へと続く混乱の時代。「産めよ増やせよ」の国策のもと、4男4女をもうけた。

 とにかく筆まめな人だった。75歳だか80歳になったとき、「郵便局から郵便書簡をくれるようになった」と言ってはせっせと手紙を送ってくれ、郵便書簡がなくなると、取り置いた裏が白地のチラシなどを便箋代わりにしていた。封筒までが手製だったのには恐れ入った。決して吝嗇(りんしょく)ではなく、自らの生活には明治、大正、昭和の時代を通して育まれた倹約思想が浸透していたのだろう。飽食に馴らされた現代人にはとてもとても真似のできないことではある。

 

平城宮

by h-fuku101 | 2009-06-17 06:01 | Comments(0)