必要は発明の母

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 「必要は発明の母」。

 足の悪い人やお年寄りが階段の上り下りに苦労するだろうとエレベーターやエスカレーターが生まれ、扉を開ける力のない人や両手に荷物を抱える人を助けようと自動扉が考えられた。

 が、その “楽さ” を一旦覚えた健常者や若者たちは我先にとその乗り物に駆けつけ、あるいは「扉は開くもの、閉まるもの」と錯覚して、手動扉も放置する習慣を身につけた。気づけば足腰や腕の力はグ~ンと弱くなっている。

 文字や仕事の世界ではまずワープロが生まれ、次に現れたPCは仕事と日常生活を劇的に変えた。が、気づけば人々から漢字を覚える能力を奪い、ペンや筆を使う文化をなくし、例えば印刷など技術系会社の上下関係を見事なまでに逆転させた。

 昔は、軽く30件くらいは覚えていた電話番号。家を持ち、自分の手ではじめて敷いた番号は今も忘れない。「くっぴん庭掃く」。今は、さすがに家の番号は覚えているものの、身内のそれさえわからない。

 携帯やスマホ。完全にこなす幼児がいるという。彼らにはもう漢字を覚える必要性すらない。与えすぎて発明や工夫をする必要性をなくし、あふれる便利さがその機会と能力を奪っていく、そんな世の中こそ怖くて仕方ない。
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by h-fuku101 | 2014-07-31 05:17 | Comments(0)

舟に遊ぶ

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 大川(隅田川)をのぼり下りする舟で一度、のんびりと時を過ごしてみたいと思っていた。

 この舟には、これまでに2回ほど乗ったことがあるが、いずれも「浅草に行きたい」という目的があってのこと。 “ただ行くあてもなく” というようなぜいたく気分は初めてだ。と言っても貧乏性なおやじのこと。目と気持ちは絶えず “写真に収めるいい景色はないか” と忙しい。

 柳橋から両国橋を渡れば両国乗り場まではほんの10分ほど。両国国技館の真ん前に乗り場がある。まず浅草へ。そして、折り返しの舟で日本橋~浜離宮~浅草から両国へと戻る。さあ2時間ほどは舟人だったろうか?

 川から見る景色は…、「うん、なかなかいい」。
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by h-fuku101 | 2014-07-30 04:11 | Comments(0)

柳橋

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 井の頭恩賜公園にある井の頭池に源(みなもと)を発する神田川。途中、善福寺川、妙正寺川を合流して「神田上水」を形成し、江戸っ子たちの生活を支えた。柳橋はその神田川が大川(隅田川)にそそぐほんの数10m手前に架かっている。

 両国に第二の職場があった関係で、当時はよく柳橋界隈を歩いた。ここから東日本橋方面に向かうと薬研堀(やげんぼり)から日本橋人形町。時代小説などでよく目にする地名が次から次へと顔を出す。もうたまらない想いがしたものだ。

 その柳橋。いなせな柳橋芸者を慕ってか、緑色に塗られた橋は簪(かんざし)で飾られ、神田川畔には今も船宿がつくだ煮や川魚料理などを楽しませてくれる。

 目に入る景色は現代でも、たどるおやじの気持ちはもう2~300年もの昔をさまよっている。あ~、いい。実にいいものだ。
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by h-fuku101 | 2014-07-29 06:35 | Comments(0)

豪栄道、大関へ

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 いゃぁ、おもしろい、本当におもしろい名古屋場所だった。賜杯こそ、結果的には “規定方針通り” 白鵬の手にわたったけれど、豪栄道が11日目に白鵬に土をつけてから俄然、場所全体がおもしろくなった。

 相撲協会審判部は昨日、「きょうの一番に勝てば、豪栄道を大関に推挙する」との見解を発表し、豪栄道も場所入り前に境川親方から聞かされていたと言う。優勝の行方を左右する大関琴奨菊との一戦は応援する身でさえ熱が入った。豪栄道自身の心境はいかばかりだったか!?

 思えば、名古屋場所前に豪栄道の大関昇進は芽もなかった。10日目でもまだなかった。中日(8日目)に稀勢の里に勝ち、10日目に鶴竜を破った実績ですら、白鵬戦に勝ってようやく “思い出してもらえた” ほどだろう。前場所の成績が8勝7敗では仕方ない。が、2横綱、2大関を破って場所全体を盛り上げ、相撲内容も申し分のない12勝。豪栄道は昇進の道を自らの手で切り開いたと言っていい。

 関脇栃煌山は怪我で途中休場し、小結安美錦、碧山、前頭上位陣は成績不振に泣いた。代わりに、来場所は大関豪栄道が誕生し、前頭中位にいた豪風、妙義龍、豊ノ島、高安、千代大龍など実力派が復活する。さらに、十両では新しい力が台頭し、新入幕してくる。

 いゃぁ、相撲って本当におもしろい。
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by h-fuku101 | 2014-07-28 07:16 | Comments(0)

古代蓮の里 Vol.2

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 「古代蓮の里」に着いたのは午前4時半過ぎ。夜は明けているが、さりとて花を撮るのに十分な光がある訳ではない。蜘蛛たちは生産活動に忙しいらしく、一夜のうちにあちこちに巣を張り巡らせている。

 「この向こうにある『水鳥の池』の方が今の時期、花が多いですよ」。どうやら職員さんのようだが、親切だ。そういえば、ここ行田で出会った人たちはみんなサービス精神が旺盛。旅館の女将はあれこれ気を使ってくれるし、散歩のおじさんたちも気軽に声を掛け、いろいろと教えてくれる。「うん、なかなかいい土地柄だ」。

 朝7時、古代蓮会館がオープンする。楽しみにしていた地上50mから見る「田んぼアート」にいよいよ出合える。折から射し込んできた朝の光が展望室のガラス窓に反射して少し写真には収めにくいが、それでもきれいな “絵” を見せてもらった。

 会館の受付に座っておられたのは、朝出会った職員さん。「ハスは今の時間帯が一番きれいですよ」と促され、また「水鳥の池」に戻る。「お~!」。花はさっきよりもグ~ンと輝きを増していた。
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そして旅の終わりは「田んぼアート」


by h-fuku101 | 2014-07-26 04:10 | Comments(0)

古代蓮の里

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 「いい写真が撮れますか?」。散歩を楽しんでいるらしいおじさんが気軽に声を掛けてくれる。

 ここは「古代蓮の里」。行田市の中心地からも車で10分くらいの近場にある。

 「この先のごみ処理場を建てる際に、どうやら眠っていたハスの種を掘り起こしたらしいんだね。それがなんでも1500年とか3000年とか前の古代ハスだったとかで大騒ぎになった。今は天然記念物になっているよ」。

 どうやら近くに住む人らしい。

 「毎日、こんなにきれいなハスを見ながら散歩できるっていいですね」。

 「いいんだかどうか。便利なものだから駐車場の整理係とか誘導係にすぐ駆り出されちゃう。7日と21日はすごかったよ。テレビで紹介されたんだけどね、おかげで3か所ある駐車場は終日、満杯。常時2500台は停まってたかな。一回入ったら最低2時間は出て行かないから、バスの運転手も渋滞でブツブツ言ってたよ」。

 世界各国のハスに加え、キバナハスまで咲いている。いゃぁ、なかなかいいところだ。
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by h-fuku101 | 2014-07-25 06:17 | Comments(0)

忍城は “天下の浮き城”

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 行田市にある忍城(おしじょう)は “関東七城” に数えられる名城だ。

 15世紀末、時の豪族成田正等が築城し、その後、100年近い間に扇谷上杉家、北条氏康、上杉謙信、石田三成らから攻撃されるが、落城しなかった。

 石田三成の忍城攻めの話しは今に続いている。

 ~天正18年(1590年)、石田三成は軍勢23000を率いて忍城を取り囲んだ。「水攻めが良策」と、わずか一週間で28kmもの堤を完成させ、利根川、荒川から水を引いた。しかし、忍城は落城せず、水のなかに浮かび上がって見える城を見て三成は「忍城は浮き城か!?」となげく(「Gyoda-Story」から)。

 この「石田堤」は、今もその一部が残っている。

 忍城攻めは、三成の武将としての戦歴のなかで特徴的なものと言われている。その一つは、この戦いが彼が一軍の将として初めて臨んだ戦いだったこと。大抜擢だ。傘下には盟友大谷吉継、長束正家のほか、佐竹義宣、多賀谷重経、真田昌幸など東国の大大名がいる。三成が、天にも登りたいほどに有頂天になっても仕方ないが、特徴の二つ目が、この戦いが武将としての能力不足、「戦下手」を満天下に示してしまうというんだから怖い。

 人間、好事魔多しですなぁ。
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by h-fuku101 | 2014-07-24 06:19 | Comments(0)

行田市を訪ねて

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39体全部を紹介し切れないのは残念。これは「まつり・ふえふき童子」


 行田(ぎょうだ)市。埼玉県の北部に位置し、城下町、足袋(たび)の町、さきたま古墳の町、童(わらべ)・銅人形の町、田んぼアートの町、そして、行田ハス(古代ハス)の町…として知られている。

 前日の午後遅く到着したため、これほど見どころが多い町を全部紹介し切れないのは残念だが、ただ言えるのは「行田市は駆け足で通り過ぎる町ではない」ってこと。今日から “その一部” をお知らせする。

 行田市は、 “足袋の行田か、行田の足袋か、忍(おし)の行田は足袋でもつ” と言われたほどに足袋が有名。

 「最盛期は全国の足袋の8割を生産し、数百軒あった足袋屋は通りに軒を連ね、町のあちこちではミシンを踏む音が聞こえ、八百屋や魚屋も店頭に足袋を並べていた」(「Gyoda-story」から抜粋)と言う。足袋を貯蔵した蔵(くら)も残っており、「足袋の行田」の全盛を今にとどめている。その日、一夜の宿をとった旅館の女将は、「母の時代には、お泊りのお客様はみなさん糸関係の人でしたよ」と言う。

 国道125号線から一筋入った宿からメイン・ストリートに出ると、そこでは「彩の国さいたま景観奨励賞」を受賞した童・銅人形39体が出迎えてくれた。
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ちゃんちゃんばら


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ものうり・とうがらし


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ひな流し


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たこあげ


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わころがし


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戦国時代の足軽のようだけど、これは「大漁」


by h-fuku101 | 2014-07-23 06:59 | Comments(0)

荒川三山に挑戦するNさんへのエール Part.2

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 昨日午後、山の師匠Nさんから「一昨日は雨とガスで展望はありませんでしたが、無事に下山しました」と、朝を迎える富士山の写真を添えたメールをもらった。山暮らしでは、おやじなどとても足元に及ばないほどベテランのNさんだが、今回は特にカミナリが気になり、やきもきした。とにかく無事に下山できてよかった。

 Nさんは、元ワンゲル部。もちろん日本百名山を意識して山に登っていた訳ではないだろう。だから、実際に登った山の数はとても「百」という数字では足りないだろうが、「ある日、深田久弥氏の『日本百名山』に照らして数えたら85山に達していた」という。「ならば完登を目指すか」と宗旨替え。主に残っていたのが南アルプスだったという次第だ。

 今回、荒川三山についで赤石岳も制覇してきたらしい。多分、前日は尾根近くの荒川小屋泊まりか?

 南アルプスは深い。今回の山歩きでも3泊。「仲間が付き合ってくれない」訳もどうやらこの辺にありそうだが、とにかく、今はゆっくりと静養を。師匠、お疲れさまでした。
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by h-fuku101 | 2014-07-21 08:31 | Comments(0)

荒川三山に挑戦するNさんへのエール

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 昨夕、山の師匠Nさんから「椹島(さわらじま)ロッヂを朝6時に出て千枚小屋に着いた」とのメールが届いた。荒川三山の遠景写真も添えられている。想像するに、17日(木)の仕事を終えてから電車、バスを乗り継いで椹島まで駆けつけ、ロッヂ泊りをしたのだろう。

 千枚小屋までは途中、休憩しつつも8時間。なんでも「山の仲間たちは南アルプスには付き合ってくれない」らしく、今回は「ツアーに参加した」とか。師匠が最年少らしいが、「足が揃っていて、なかなかいいパーティですよ」とも書き送ってくれていた。

 荒川三山は、田中陽希さんの「グレート・トラバース」とNさんのおかげで急に身近な山になった。が、そこは3000m超えの山。おいそれと「挑戦!」とはいかない。

 予定のコースは、この後、千枚岳(2880m)を経て荒川三山最高峰の東岳、通称「悪沢岳」(3141m)へ。荒川三山は中岳(3084m)、前岳(3063m)で完結する。

 心配は天候だ。全国的に大陸の寒気団が南下して低気圧が発生し、雷雨が懸念されている。師匠には、くれぐれも無理をしないで、がんばって欲しい。

 遠くエアコンの利いた部屋からエールを送る。
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by h-fuku101 | 2014-07-19 08:40 | Comments(0)