習い事

 世の中、私の知らないところで、いろいろな資格を取る人が多いようである。
 それは仕事上、どうしても取得しなければいけない場合もあろうし、趣味になっている人もいることだろう。私の友人の一人もバッグの中から次々と資格証(?)を取り出し、「これは樹木鑑定士。これは〇〇」などと、10枚以上もの紙切れ(失礼)を一つひとつ丁寧に説明してくれたことがある。こうなるともうマニアの世界だ。

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 これは個人の価値観、人生観の世界。私がとやかく言うことではない。

 私が持っているのは車の運転免許書ただ一つ。ん?将棋の初段免状もあった。ただし、この免状はいわばプロ棋士からご褒美としていただいたもの。授与にあたりプロ棋士から「人前では指さないように」のひと言が添えられた。

 昔、当時60歳の母が、「この歳でいまさら生花を習うのは恥ずかしいから、お前、代わりに習ってくれ」と言った。「~♪♪女のなかで男が一人~♪♪」をもろともせず、行きましたねぇ。盛り花からお流儀へと進んだ1年a0120949_825394.jpg後、「そろそろ初伝を上げましょうかねぇ」と先生。「ありがとうございます」と言った後の先生の「では、来週お金を持って来てください」にカチンと来た。生徒が10人も居並ぶ席で「先生、免状ってお金がいるんですか?では要りません」。全員が唖然としていた。当時の私は、先生が免状料を生活の糧の一つにしていることなど知るよしもない。ただ、免状というのはその個人の実力に対して付与されるものだ。金を取るなんてとんでもない、と思っていた。この考えは、多少幅は広くなったが、基本的には今も変わらない。それ以後、車の免許を除き、一切の免状、資格は持っていない。

 高校を卒業して勤めた会社にもいろいろな試験制度があった。まじめに働き、勉強をして試験を受け、評価されて昇進する。これはいいことだ。ただ、私には関心がなかった。毎日毎日お客さんと顔を合わせ、そして、喜んで帰っていただくことだけに腐心した。時には客と殴り合い寸前にまでなるトラブルもあったが…。

 たまたまお客さんのなかに銀行や企業の社員研修の講師をされている人がいたらしい。ある日、別のお客さんから「今日のラジオである先生が、『接遇の勉強をするなら〇〇郵便局に行きなさい』って言ってましたよ」と教えられ、後日、支社から賞状をいただいた。習い事もせず、勉強も受験もせず、資格の一つもない人間だが、こんなにうれしい免状はない。

 野村監督が言った「生涯一捕手」の言葉が忘れられない。

# by h-fuku101 | 2009-06-29 08:04 | Comments(0)

教室

 4月から始めた写真教室が一昨日の25日で終わった。

 講師のT先生、「表情や物言いは穏やかだが、言ってることはかなりキツイ」は以前、紹介した。
 初回教室の第1声が印象深い。「私は、写真の撮り方(技術的なことや構図など)は教えません。なぜなら、私がみなさんの旅行などに同行することはできないから。だから、自分で工夫してください」「……?では、何を教えてくれるの?」。デジカメ入門者の私にとって、この突き放すようなひと言は実に不安なものだった。

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 3回目の教室だったか。「この先生、口はキツイが人はいい。いわゆるお人好しタイプだ」と見抜きましたねぇ。それからは分からないことがあると質問攻めに転じた次第。先生、律儀にも一つひとつ丁寧に教えてくれた。「私は撮り方は教えません」のポリシーを忘れ、一生懸命だ。ありがとう!

 この3か月間に教えていただいたことを、頭の整理も兼ねて記して置きたい。もし、写真に興味をお持ちの方がいれば、参考になるかも(私への気遣いは不要ですよ。いいですね。念のため)。

 テーマは「花」。でも、例えば、被写体が風景であっても、人物であってもある程度共通していると思う。

 ①植物図鑑じゃありません。②花を欲張らないで。③茎など要らない部分は大胆にカット。④光と影、水滴なども意識――は以前紹介した。なお、植物図鑑じゃありませんは、写真の中央に花をもってくること。日の丸とも言うよ。

 他に、①花の写真の8割は逆光。②同系色が多い場合は、主題を引き立てるためにバックをボカす。③白や黄色など明るいボケは余り大きく取り入れない。④3分割を活用(モニター画面を上下、左右とも目で3つに区切り、真ん中に被写体をもっていかない。水平線や木々の頭も左右の線を意識)。⑤桜は、曇りの日には「曇り補正」を使うと赤みが増す。⑥絞り数値を大きく(絞りの口は小さくなる)すると全体は写るが主体はベタッとなる。⑦曇っている日は露出オーバー気味でもOK――等々。ただし、コンパクトカメラではボカシができないので念のため。

 で、教室の最終回は現地撮影会。教室は自宅から電車で約30分の川崎駅ビルだったが、今回の撮影会は何と私の散歩道の生田緑地内にある民家園。約束時間の10分前に自転車で出掛け、楽々到着!

 いざ撮影となってよ~く考えてみると、今まで屋内写真は撮ったことがない。デジカメはもちろんカメラまかせでも撮れるが、それはプライドが許さない。上記の留意点で当てはまるのは「3分割」と「欲張らないで」くらいか? 案の定、自宅に戻って作品を見てもろくなものがないわい。実に奥深いものである。

 で、昨日は銀座にあるキャノンの「EOS学園」を下見した。7月からまた再スタートだ。

 

# by h-fuku101 | 2009-06-27 10:27 | Comments(0)

三訓

a0120949_8394831.jpg 長年お世話になった会社の研修で「三訓五戒」というのを教えてもらった。

 「三訓」は、①時間を守れ、②言い訳はするな、③陰口を慎め――。「五戒」は忘れた。
 もともと「人の言動に左右されやすい体質」を持つ私。「これはいい!」と、直ちに実践に移すことにした。

 さて、上の三つの言葉。読むだけならば至極当然のことだし、誰しもが「いいことだ」と思うだろう。だが、実践を始めてしばらくして「これは生半可な気持ちでは継続できないぞ」と思い知らされるのである。

 まず、時間を守れ。これは大したことではない。若いころはよく遅刻もしたし、約束をすっぽかしたりしたこともあるが、かれこれ30年ほどは約束の時間に遅れたことはない(と思う)。

 次の「言い訳はするな」。
 さて、「事情説明」と「言い訳」の違いは微妙だ。当初は、その違いすら分からず、すべてが「言い訳」だと思っていたから、例えば、やるべき仕事が遅くなったり、結果としてできなかったときに一切、黙して語らずの態度を取った。周りの人たちから見れば何を考えているのか分からない、まったく可愛げのない人間に映るのである。

a0120949_8423456.jpg 三つ目の「陰口を慎め」。
 人間という生き物は実に陰口が好きだ。なかには「これこそ生きがい!」なんてツワモノ(特におばさん)もいる。居酒屋でグラスや杯を傾けているおじさんたち、スィーツを楽しんでいるおばさんたちに限らず、老若男女のほぼすべてが、その会合(?)のどこかの場面でこれを肴に盛り上がる。私はこれを「欠席裁判」と呼んでいるが、その会合に居合わせていながらこの「欠席裁判」に加わらないと、次回からはお呼びが掛からなくなること必然だ。

 つまり、一つ目の「訓」はいいとして、二つ目、三つ目の「訓」を実践することは「友だちを失う」覚悟でやらなければならないということである。

 「陰口」に対を成すのは「直言」。
 優しさと弱さは違う。強さと乱暴も違う。「真の優しさとは、自らが勇気を持って決断し、相手のことを心から思ってその人が嫌がることもハッキリと言うことだ。場合によっては縁を切ることも覚悟」と思って直言したこともたびたび。そのときの評価結果は二分したが、今も友だち付き合いは続いている。

 

 

# by h-fuku101 | 2009-06-26 08:43 | Comments(0)

アナログとデジタル

 先日、仙台行きの新幹線を待つため、喫煙室に座っていた。そこには大時計がない。
 夏場は腕時計をしないことにしているので、携帯電話の時刻表示で出発時刻までの時間を確認した。

 しばらくして、ふと気づき、少なからぬ衝撃を受けた。

 当然、携帯電話の時刻を見たときに出発時刻までの時間を頭のなかで引き算していたのだが、その確認作業(?)を無意識でアナログ時計の針に置き換えて行っている自分を見たからだ。
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 アナログとデジタル。言葉はもう十分知っている。意味は、ん…? 時計では針があるのがアナログで、数字表記がデジタル。デジタルカメラとは言うがアナログカメラとはあまり言わない??? 今では、人にまで「アナログ人間」と言うことがあるが、それは「前時代的体質」とでも言う意味か。この場合も「デジタル人間」と言う呼称は聞かない。

 辞書を引いてみた。

 アナログは、「物質・システムなどの状態を連続的に変化する物理量によって表現すること」。
 デジタルは、「物質・システムなどの状態を離散的な数字・文字などの信号によって表現すること」。

 何回も読むと、何となく理解できるが、物理学の素養がないため、確かな意味は分からない。で、自らに下した結論は、「古い」と「新しい」。

 a0120949_7472375.jpg少し前、おじいさんから、「お兄ちゃん(私のこと)、この富士山の写真いいなぁ。焼き回しするからネガを貸してくれるか?」「フィルムじゃないからネガはないんです」「……? ネガがないってどういうことや」「チップがあってね、そこに画像が入ってるんです」「……?」。この翁、私の辞書の理解と同様、頭では何となく分かっても、言われている意味が身体では分からないらしい。

 仕事や技術が身に付く。いくら頭で分かっても、人間は身に付かないとダメですねぇ。

 世の中、今やマニュアルが横行している。書かれたとおり行動し、自分で工夫しようとする発想すらない。行き付けの喫茶店のアルバイト氏は、フロアーの掃除の仕方まで先輩に質問して、せっせとメモ。そして、そのメモから一歩も外に出ることはない。

生身の人間、信号で動いてなるものか! 血や肉などの物理量で考え、行動し、そして朽ち果てていく。アナログ人間、ばんざ~い! 「好きな誰かを想い続ける、時代おくれの男になりたい~♪♪」 なぜか川島英五の「時代おくれ」を今日も口ずさんでいる。

 

 
 

# by h-fuku101 | 2009-06-25 07:36 | Comments(0)

成るほどに

a0120949_7295941.jpg 昔、私が中心となって運営していた囲碁・将棋大会があった。全国各地から年1回、腕自慢が参加し、2泊3日の日程で団体戦、個人戦を行った。プロ棋士との指導対局や解説などもあり、盛りだくさんな企画だった。

 以来約30年。今もその囲碁・将棋大会は続けられている。

 囲碁歴代の優勝者・名人の名を列記してみよう。初代は北海道の川尾さん。次に近畿の村上さん。大音さん(近畿)、徳富さん(中国)、砂川さん(北海道)へと続く。川尾さんは、対局中は厳しい表情を崩さないが、盤外ではいつもニコニコとしていて人柄は実に穏やか。村上さんは本当に謙虚な人である。大音さんは、いるのかいないのか分からないほどに目立たない。徳富さんは、私たちと同じ仕事を辞めて、中国の子供たちへの囲碁普及に出掛けた。砂川さんは現役。

 これらの人に共通しているのは、みんな地方に帰れば県の代表クラスかそれに近い人ばかり。実際、何人かは全国大手紙が主催するアマチュア全国大会にも、厳しい地方予選を勝ち抜き、参加している。だが、誰一人として自分の強さを鼻にかけていない。

 囲碁・将棋は対局後、検討をする。「ここに打って置けばどうだった?」「そのときはここに打つ」と言った具合。上記の人たちは、検討の場にプロがいれば決してでしゃばらない。プロから「この手の意味は?」などと質問されたときにのみ口をきく。プロをプロとして認めているからであり、これはその人にそれだけの実力があるから出来ることである。

 成るほどに頭を垂れる稲穂かな。

 囲碁も将棋も、ゴルフも同じだが、実力を競うと同時にマナーが重んじられるゲームである。実力という自信は持ちつつも、決して思い上がることなく、周囲の人たちへの敬意や気遣いも忘れない、そんな気持ちを持っている人にこそ楽しむ資格があるというのは言いすぎだろうか!?

 

 

 

# by h-fuku101 | 2009-06-24 07:36 | Comments(0)