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私の中の3巨匠

 「本は読まない!」というこだわりは30歳過ぎまで続いた。

私の中の3巨匠_a0120949_8575586.jpg それまでは体育会系一辺倒のアウトドア生活派。ウェスト69、胸囲104、太もも82、握力74、背筋150、100㍍走12.6…。そう言えば、銭湯に行けば(家風呂なんてなかった。「あっ、銭湯出入り禁止事件も紹介しないといけないかなぁ?」)、近所のおじさんから「兄ちゃんみたいな身体の男に娘をやりたい」と言われたり、浴槽に腰を掛けてたら「お兄ちゃん、いい身体してるね」と身体をくっつけてきた、少し趣味が違うお兄ちゃんもいたなぁ。せっかく温まった身体なのに鳥肌が立ったわい。もちろん今では見る陰の一片すらないが…。

 (主題からずれてるよ~。今日は本のお話…。)

 本を読むようになったのは33歳から。その歳に上京し、仕事の関係から止むにやまれずという切羽詰まった状況に追い込まれたのだ。いきなりの経済書から時事評論、時代考察本等々。「勉強しない体質」の改善を強要されたようなものだ。経済書等から本を読む習慣を身につけたっていうのも珍しいかも知れない。

 で、とにかく活字に慣れ始めたとき、「少し頭を休めよう」と手にしたのが藤沢周平氏の時代小説だった。だが、ただストーリーを追っているだけ。ある日、仕事でかかわった作家から「どんな本を読んでます?」って聞かれ、「今は藤沢さんです」「シブいですねぇ。あの人の作品は、特に、光と影の表現が素晴らしいんですよね」。この言葉に斧で頭を殴られたようなショックを受けた。藤沢周平氏は、もちろん作品自身のすばらしさはあるが、私に読書習慣を定着させ、小説の読み方を教えてくれた、私の中の巨匠の一人である。

 約7年前。山形県鶴岡市出身の友人I君のご母堂が他界され、その葬儀に参列した。葬儀前日、市内の湯田川温泉に一泊したが、たまたま入った旅館の女将が藤沢氏の教え子だった。ロビーには写真や小説が陳列され、より親しみが深くなった次第である。

 もう一人の巨匠は司馬遼太郎氏。氏の本姓は私と同じで、名前は定一。東大阪市に記念館があるが、その記念館に行く途中に我がF校がある。氏のジャンルは歴史小説。もちろんそれらの愛読者の一人であるが、氏の取材旅行をまとめた「街道をいく」は手放したくないシリーズである。

 三人目の巨匠は池波正太郎氏。小説はもちろん、エッセィ集にも目を通している。浅草にある記念館にもたびたび足を運んだものだ。氏は、決してと言っていいほど作品中で、直接的な表現で人生訓を述べたりはしていないが、読後、全体を通して人の生き方、考え方、人と人との接し方、人間の強さや弱さなどを教えてくれる。

どうしてもっと早く本を読まなかったんだろう?!

 



 前回はご近所の東側を紹介した。今回は、西側、通称「裏山」を紹介したい。

 裏山一体を地元では、生田の森と呼んでいるらしい。そこに至る道が私の散歩コースになっている。
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 我が家の周りにはあちらこちらに採れたて野菜の無人販売所がある。近年、お金を払わず、あるいはわずかばかりのお金を置いて持ち去る輩が多くなっているようだが、とにかく新鮮野菜には困らない。自宅から5分足らずで多摩川からの分水:5ケ領用水が流れている。以前は稲作用の灌漑用水として利用されたが、近年では稲作がすっかり影をひそめ、もっぱら畑作に使われているようだ。

 私の中の3巨匠_a0120949_9243842.jpg徒歩20分で生田緑地一角の「ほたるの里」。7月上旬までの今の時期、ほたるが飛び交う幻想的な光景を目にすることができる。ほたるの里からは、遊歩道に沿ってアップダウンを繰り返し、枡形山の山頂へ。海抜84mという丘だが、登りは結構、急峻だ。

 枡形山には鎌倉時代、城が築かれていたらしい。多摩川下流から上流に向かい、加瀬城、井田城(小杉)、有馬城、作延城(二子)、そして登戸には枡形城、亀井城、小沢城だ。いずれも鎌倉幕府の北の守りを固めていたとか。今も関東平野を一望できる格好の地で、遠く新宿や横浜のビル群を望むことができ私の中の3巨匠_a0120949_9391741.jpgる。

 生田緑地の施設を少し。専修大学、生田ゴルフ場、岡本太郎美術館のほか、民家園、プラネタリュ―ムなど。梅園やつつじの丘、バラ園もあり、四季折々の草花が目を楽しませてくれる。

 

 

by h-fuku101 | 2009-06-18 09:42 | Comments(0)

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