小さな抵抗

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 東京地方は連日の快晴。特に昨14日は、電車の車窓から富士山がくっきりと見え、胸のすくような一日となった。

 ところが、日々見聞きするニュースがいけない。

 日本代表を競う選手が相手の飲み物に禁止薬物を混入させたり、晴れの成人式を着物を着て迎えたい乙女心を逆手に取ってサギ行為をはたらいたり、わが子を長年にわたって虐待・監禁したり・・、とにかく陰湿で、残忍な犯罪ばかり。堂々としたところなど微塵もない。

 今、桃太郎や因幡(いなば)の白ウサギ、猿蟹合戦などの昔話や童話を知らない子供たちがほとんどだとか。子供が知らない以前に親たちが知らないんだから何をかいわんやだが、そう言えば、ことわざや慣用句も途切れているらしい。「すねに傷を持つ」と言ったって通じないし、 “躾(しつ)けは罪悪” とさえ考える時代。「ベビーカーは押すけど目はスマホ」では、さてさて何とも希薄な親子のつながりではある。

 これらはみんな、日本が長年、営々と築いてきた文化・ “道” の否定。そう言えば相撲の世界でもひと騒動があった。で、おやじは今場所の相撲観戦を止めることにしているが、これはほんの小さな、取るに足らない抵抗でもある。


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# by h-fuku101 | 2018-01-15 06:39 | Comments(0)

奥会津紀行 Vol.4 地の利

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                       会津磐梯山の雄姿。「いい山はやっぱり、いい」


 会津若松市や会津坂下町(ばんげまち)の田園地帯に立つと、会津が盆地であるのがよくわかる。

 東には名峰・会津磐梯山から安達太良山。少しずつ目を北にやると東・西吾妻山から飯森山。そして、北には大日岳から飯豊山(いいでさん)。西~西南に県境を成す新潟県とは「八十里越え」「六十里越え」などと険しさを呼び名にした峠や、駒ヶ岳、燧ケ岳(ひうちがたけ)といった名峰がいく手を阻(はば)む。東南の栃木県とは旭岳・那須岳・・。数え上げればキリがない。

 奥会津を訪ねる前、会津若松市に住む知人宅を訪れた。「住めば都とは言うけれど、それを割り引いたとしても、会津って本当に住みよいところだよ」と言った言葉が忘れられない。

 今、周囲の山々を見渡している。会津をめぐる昔を体感することは叶(かな)わないが、その時代に生きた人たちも見たであろう山々は、今もおやじを魅了してやまない。(完)



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# by h-fuku101 | 2018-01-11 07:07 | Comments(0)

奥会津紀行 Vol.3 仏都・会津 

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                          福満虚空藏菩薩・圓藏寺遠望と只見川の流れ


 会津はまた「仏都」でもある。福満虚空藏菩薩・圓蔵寺(えんぞうじ)や「会津ころり三観音」はつとに有名だが、そのほかにも「日本遺産」として認定されている「三十三観音めぐり」などがある。

 起源は平安の世にさかのぼるらしいが、この項は「取材メモ」に委ねたい。

 おやじの仏都・会津体感は、まず、お世話になった柳津町の旅館近くの福満虚空藏菩薩・圓蔵寺(えんぞうじ)詣りからはじまった。ここは仏都・会津を代表する名刹の一つで、奥会津最大の仏教拠点。今は、新年を間近に初詣客を迎える準備に追われているが、大同2年(807年)、徳一大師によって開かれたという。

 「会津ころり三観音」詣で(もうで)は、会津坂下町(ばんげまち)にある「立木観音」(恵隆寺)、会津美里町(みさとまち)にある「中田観音」(弘安寺)にお参りしたが、西会津町にある「鳥追観音」(如法寺)は断念した。幸か不幸か、弘安寺は改修工事中。国の重要文化財でもあるご本尊の「十一面観音立像」が寒々とした仮設の板舎に囲われて眼前におられる。ご住職の許可を得て写真に納めさせてもらった。

 会津はまた、なにかにつけ懐(ふところ)の深い地でもある。


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                               圓藏寺本堂写真2葉(下も)


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                         弘安寺十一面観音立像は国の重要文化財
 


 ※取材メモ

 ~「平安時代の大同元年、磐梯山が大爆発を起こし、住む家と食物を失った人々が道端に屍(しかばね)をさらした。この惨状を聞いたのが奈良の都にあって最澄、空海とともに多くの学問を身につけた名僧「徳一」。この僧が、人々の苦しみを救おうと仏教を広め、仏の都を造ろうと決心し、会津入りした(会津三観音奉賛会資料から)。」~


# by h-fuku101 | 2018-01-10 08:18 | Comments(0)

奥会津紀行 Vol.2 雪景色

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 奥会津を訪ねたのは年末の29日。大晦日までの3日間、存分に雪景色を堪能しようと思う。

 着いた日の午後、2時半頃に第1橋梁を渡る列車を狙おうと撮影ポイントを訪ねたが、日陰の山道はツルツルと滑って歩きにくい。せっかく準備したアイゼンは別便で送った荷物の中。おやじのやることは一事が万事、こんな具合だ。

 翌朝、6時過ぎに旅館を出る。同じポイントまで車で約30分。今朝はアイゼンも準備したが、前夜に降った雪のおかげで “爪(つめ)” がなくても歩きやすい。「プア~ン」。朝7時20分、始発の会津若松行きが鉄橋手前の「会津西方駅」を出たようだ。

 午前9時過ぎ、第2橋梁を渡る列車を狙う。「確か、この村のどこかから狙えると聞いたが・・?」。どこもかしこも雪に埋もれて撮影ポイントがわからない。除雪をしているおじさんに聞いてみる。「それは雪のない季節のことじゃよ」。

 熟した実を残したまま雪をかぶった柿の木、家の半分近くまで雪に埋もれた家々・・。雪がめずらしい町から来た人間には何もかもが新鮮に映る世界が今、おやじの眼前に広がっている。


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# by h-fuku101 | 2018-01-09 06:34 | Comments(0)

奥会津紀行  Vol.1 只見線


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                             第1橋梁と下を流れる只見川
 
 
 昨年秋に桧枝岐(ひのえまた)を訪ねて以来、女優の綾瀬はるかさんほどではないにしろ “会津づいてる ” 。

 理由は、関西育ちのおやじには秋山郷同様、ロマンにあふれていることが一つ。会津精神が未だに生きつづけていることが一つ。そして、今回は、まだ見たことも乗ったこともない「只見線」に触れてみたいことが一つ・・。桧枝岐からの帰り、東北新幹線車内サービス誌「トランヴェール」に戊辰戦争時の会津の歴史がたくさんの写真や資料とともに掲載されていたのも大きかった。

 ベースキャンプに選んだのは奥会津の「柳津町(やないづまち)」。新潟県との境にある「只見町」は通行止めで行けず、戊辰戦争で会津藩のために戦った長岡藩家老・河井継之助の消息に触れることができないのが残念だが、仕方ない。

 只見川に沿って走る只見線は圧倒的に本数が少ない。陽のあるうちに会津若松駅を出るのは1日4本で、朝8時前の次は午後1時過ぎ。これでは足は車に頼らざるを得ない。

 写真家たちに有名なのは只見川にかかる鉄橋と只見線。お隣の「三島町」にかかる第1橋梁と第2橋梁からの第一撮をお届けして2018年「おやじの独り言」をはじめようと思う。

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                      第2橋梁の午前9時過ぎ。これをのがすと次は13時過ぎになる


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 ※取材メモ

 「あいづっこ宣言」
 1. 人をいたわります。
 2. ありがとう、ごめんなさいを言います。
 3. がまんをします。
 4. 卑怯なふるまいをしません。
 5. 会津を誇り、年上を敬(うやま)います。
 6. 夢に向かってがんばります。

 やってはならぬ やらねばならぬ
  ならぬことは ならぬものです



# by h-fuku101 | 2018-01-08 09:45 | Comments(0)